利用者の声voice

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春の訪れに心はずむ今日この頃ですが、まだまだ寒い日が続いております。
岐阜の皆様方はいかがお過ごしですか。TV等で岐阜の雪の便りに触れるたびに甥は今どうしているんでしょう。寒くないかな..。と気持ちが乱れたりいたします。
彼を原先生に託して早いもので、1年と3カ月が過ぎようとしています。

原先生に預かっていただいている甥は、私の妹の長男です。妹には娘と息子がいます。甥は幼いころから心根の優しい、大人しい男の子でした。「極端に引っ込み思案だわ」と心配する事もありましたが、然程問題があるとは思えませんでした。

私の娘達とも穏やかに遊び、いつもお姉さん達について後ろから走って行くイメージです。そんな甥も成長とともに親戚の集まりに参加しないようになり、気にはなっておりましたが、◯◯(甥)はどうしてるの?元気?」と妹に尋ねると「うん、元気だよ」との返事だけでした。

妹は母子家庭で一人で子供たちを育ててきました。決して怒ることのない、優しい..自分よりも他人の事を優先するような妹でした。私たちは大阪と横浜に離れている為しょっちゆう会う事はできませんが、メールのやり取り位は行っていました。しかし、私も妹も仕事が忙しくなると、それも一時期、滞るようになってしまっていました。

そんなある日、姪(妹の長女)から泣きながら電話がかかってきました。私の携帯に姪から電話がかかることはなかったのでびっくりして「どうしたの?何があったの?」 と尋ねると「◯◯がおかしい。暴カを振るうようになって」というのです。

私もすぐには事態を呑み込むことは出来ませんでしたが、今にして思えばその頃にはもう、妹と姪は疲弊しきっていたのだと思います。一昨年の7月の事です。

原先生と巡り合うことができ、その年の12月にお預かりいただくまでの約半年間は辛く長い時間に思いました。毎日思い悩む日々でした。離れている私でさえそのような状態だったので、甥の側にいる妹と姪の気持ちを思うと辛くなります。

そのような状況にも関わらず、妹が終始一貫して言い続けたのは「◯◯のせいじゃない。あの子が悪いんじゃない。障害のせい。あの子は本当に優しい子だから」でした。

一昨年の7月に事態が明るみになり、色々と手を尽くし調べたり、病院に連れて行ったりして分かった彼の症状は「自閉症スペクトラム(アスペルガー症候群)」という発達障害でした。もっとも私がその障害を理解するまでには少し時間がかかりました。精神科の病院にも入院しましたが改善はなく、いつまでも病院にいることができず退院すると、彼は気持ちの切り替えが上手くできずに母親に当たるようになりました。妹達も何もせずに手をこまねいていたわけではありません。甥が安心して生活できる場所づくりをという事で、お料理好きな彼のためにカフェを始める準備をしました。

色々と大変な壁に立ちふさがることも多かったようですが、何とか一昨年の11月にオープンに漕ぎつけました。死にもの狂いで頑張ったと愚います。オープン当初は「これで甥が何とか仕事に打ち込んでくれる」と期待に胸が躍りました。毎日妹から入る連絡をドキドキしながら待ったものでした。しかし、甥の気持ちが穏やかになることはなく、母親への暴力が続きました。八方塞がりの状況でやっと一筋の光が見えたのは12月に入ってからでした。原先生でした。

初めて原先生とお話しした時の事を覚えています。先生は静かに私の話を聞いてくださり「分かりますよ。◯◯ということでしょ」と病院の先生にも行政への相談でも言っていただけなかった(ようです)『共感の言葉』で聞いて下さったのです。『原先生に託せば 大丈夫だ』と確信が持てました。当時は今後どうなっていくのかは全くの未知の世界でしたが、妹達にはもう殆ど選択肢は残されていませんでした。

一昨年の12月23日に彼は原先生の元に向かいました。連れて行く際は殆ど連行(笑)状態でした。連れに来て下さった職員の方に彼が「納得できない」と言ったみたいなので私が立ち会いました。暫く会ってなかった甥でしたがベッドの上で押さえられ私を見ていました。もっと険しい顔で私を見るのかと愚っていましたが、とても穏やかで優しい目をしていました。 「◯◯、おばちゃん分かる?大丈夫だからね、良くなるからね。待ってるからね」と声をかけると何度か「うん。うん」とうなずいていました。未明の出来事です。

昨年、妹と姪と私で岐阜を訊ねました。原先生にお目にかかるのも初めての事でした。
先生は予想通り(?!)ウエットに富んだ楽しい方でした。お忙しい時間を割いて下さり、甥の住んでいる寮や職場を案内してくださいました。もちろん私達が甥に会う事はありませんでしたし、恐らく今後も状況は変わらないと思います。

甥が産まれてから26年間片時も側を離れたことのなかった妹ですので、心配や寂しさは痛い程分かりますが、彼女もそこは覚悟が出来ていると思います。先日も「私が先に死ぬんだから、ちゃんと自活してくれてその中で彼なりの幸せを感じてくれたら嬉しい」と話していました。

妹は今も□□で毎日早朝から夜遅くまでカフェを切り盛りしています。
先日嬉しいニュースがありました。甥が3月~和食のお店で正社員として仕事ができるとの事。妹もどれだけ嬉しい事やら。原先生には感謝しております。今後、彼にどのような人生が待っているかは分かりませんが、何とか自立し、幸せを感じる事の出来る人生を過ごしてくれることを切望いたします。

私は妹親子から『生きていくこと』を学んだ気がします。上手く言えませんが地球上には 色々な人がいて色々な価値観の中で生活していかなければなりません。

時には、誰かの助けを借りて、誰かを助けて。支えられて、支えて。
そうやって、でも生きていかなければなりません。
妹親子には、生きがいのある人生を歩んでもらいたいと思います。

最後になりましたが、原先生と甥の出会いに心より感謝申し上げます。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

まだまだ寒さ続きます折、くれぐれもご自愛の程を。

かしこ。
平成29年3月14日

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